人間らしさが溢れている
これほどまでに素の自分を曝け出しているYouTuberはいるだろうか。それでもって人を惹きつける魅力。その人が置かれている境遇によって好き嫌いが決まるようなら感じる。
端的にわかりやすく言えば、ステハゲは所謂ぼっちだからではなくて、いつか大事件を引き起こしそうな危うさを備えているからこそこんなに人気になったんだと思う。所謂「ぼっち系YouTuber」って感じではない。
ステハゲの場合、「Aとはなんですか?」に対して「AはBだからCで~」ではなく「A」は「A」と答えるみたいな感じがある。
ようは、意味にがんじからめになったYouTube的存在から完全に逸脱しているのだ。「天皇陛下とかいう生前退した陰キャラ」も「風呂RTA」も「大学の食堂で席が無く立って食うキモ男」も全部意味不明なんだよ、ほんとに。脈絡が一切ないし、そんなことをする理由も必然性もどこにも無い。正真正銘「無意味」なんだよね。
彼はぼっち系YouTuberの記念碑的存在なんだけども、彼の「ぼっち」の真髄は、単に大学内で孤独だ、ではなくて、社会、つまり様々な意味のスープに対し、堂々と自らの孤独を宣言するその姿勢こそ、だと思う。
そして、我々の恐怖っていうのは、意味のわからないモノに対して抱かれるとき、最大値に到達する。「太陽が眩しいから人を殺す」とか。どこまでもせわしなく意味に支配された社会で生きる我々は、意味を有さないモノを異端と見なして恐怖するように出来ているし、意味のわからない怖いモノを排除しようとしてしまう。せっかく築いた意味の世界を、無意味なモノに踏み荒らされたら嫌だからだ。
しかし時に、人は理解の範疇を越えた無意味の放つ、危うい魅力に呑まれる。それは恐怖の裏返しでもある。血と汗を流して作り出してきた意味が、圧倒的な無意味の前では完全に無力であり、赤子の手をひねるが如く無視されてしまうかもしれないという恐怖に、恍惚を覚えるということ。
ステハゲは、陰キャラぼっちvs陽キャラ大学生、ていう低次元な二言論、つまり意味の中でもかなり取るに足らない意味の領域に(しかしながら多くの学生が悩まされるものである)、圧倒的に、無性に「無意味」として土足で入り込んだ。
そして若人たちは、彼の圧倒的な無意味さを前に、恐怖を抱くと同時に、自らの理解の範疇をゆうに飛び越えた舞台の上で演じられる「無意味」の魅力を発見した。まるで白昼の散歩のようなノリで自らの悩みを踏み潰していく姿に背徳的興奮を抱いた。
「孤独ですが、何か?」といいたげな堂々たる表情を携えて(これさえ、我々の意味による解釈にすぎないが)「無意味」を踊ったステハゲは、大学の中で友だちがいないどころか、社会の中で、意味の世界に対して孤独な「ぼっち」の神として、遂に神話になったのだ。
しかしながら、彼が示した「無意味」に対しての反応は、かなり貧困だ。「ぼっち系YouTuber」と称した定型的な方式を編み出し、みんなシステマティックに「YouTuber」をやっている。これらは意味にしばられている。理解の範疇の中で営まれているにすぎない。
完全に「無意味」に達することは難しい。というか、こんなふうに駄文を長々と綴ってしまう私なんかには不可能だと思う。かといって、過度に意味にがんじからめにされた生活が幸福か?といえば、そうではない。SNS全盛の令和の時代には、他人との差がSNSというシステムの上でかなりくっきりとした輪郭を描き、我々の眼前に突如つきつけられる。差による不幸や搾取だけじゃなく、差そのものに絶望を抱いてしまうのは、承認欲求と自己顕示欲を自然に有する人間であるかぎり、仕方ないかもしれないが、絶望は絶望として実際に人の心を蝕んでいる。これらはSNSの台頭に呼応して発生した、必然的な病理だ。
私は、そのような意味の飛び交う絶望に対する特効薬として、ステハゲの示した無意味さを見なすべきだと思っている。「なんでそんなことするんですか?」という問いに対して、「これ」は「これ」だ。と堂々と答える姿勢。因果関係やメリットデメリットといった普通の思考回路を完全無視する暴力。これこそ、新しい時代の新しい絶望に対する、新しい希望ではないだろうか。
もちろん、私は雨の日に路上でのたうち回ったり、顔出しして自分の所属する学校や天皇陛下を侮辱したり、会社内で堂々カメラを回して奇行の数々を撮影したりする勇気なんてない。彼の動画を見るのは楽しいが、同時にそんな無意味に恐怖を覚える。こんな風に長々と文を綴るのも、無意味に対する無意識的な恐怖なのかもしれない。
完全に無意味になってしまえば人で無くなってしまう。だから私は、辛いとき、絶望したときに彼の髭面を思い出して、心の中でこう叫ぶのだ。
キモチェェ~~~!!!!!!!
こうはなりたくないと思い受験勉強が進まなくなった時に狂ったように動画見てました。無事第一志望受かりました。ありがとう。
彼の動画には喜怒哀楽があり、人間臭さも垣間見ることができます。
動画のところどころで、彼の優しさが分かるシーンがあり、育ちの良さがうかがえる。例えば、台風の動画では道に落ちていた、鉄片を道路の端に置いたりしていたことや、ものを購入したり飲食店のお会計の際に「ありがとうございます」と言えることが挙げられる。
ステハゲの「私立が国立に勝てない理由」の動画を見てから、国立受験に凄く熱が入ってます。これは紛れもなく貴方様のお陰です。ありがとうございます。
彼を初めて見たとき中学生の時に見ていた藤崎瑞希を真っ先に思い出した。常人には理解できない行動や言動や、皇族に不謹慎極まりない発言をしたり、受験生を煽ったりなどのゴミクズなのにも関わらず何故か見に来てしまう。これは一種の麻薬だろう。