最近は結婚して大人になって幸せを掴んでいるが、全盛期のvs中央大学のカリスマ性は異常だった。
これからのYoutuber史に彼以上に人間臭く、彼以上にユーモアのある刺激的なYoutuberが現れるのは想像ができないが、また彼の意思を引き継ぐ者を待ち、今は彼の幸せを祈っている。
今更昔の路線の動画出しても遅いと思います
大学卒業したただの無職のおっさんが過去の栄光引き摺ってつまらないトークしてるだけだし
着々とオワコン化してきている男
もういい歳なんだから学歴とかマーチとか言ってないで就職しなさいよ
精神年齢が未熟なまま全然成長しない人を見てるとイライラしてくるんだなという事を教えてくれました
迷走した挙句、嫌っていた元のスタイルに戻ったアラサー妻子持ちおじさん
夫婦共に働いていないのに金に困ってる様子もなく、果たしてYouTube収益だけで食えているのか?親からの援助で暮らしているのか?
体張って生配信してるのに全然スパチャされてないことにこの人の今が凝縮されている
ファンは口だけじゃなくてスパチャしましょうね(笑)
端的にわかりやすく言えば、ステハゲは所謂ぼっちだからではなくて、いつか大事件を引き起こしそうな危うさを備えているからこそこんなに人気になったんだと思う。所謂「ぼっち系YouTuber」って感じではない。
ステハゲの場合、「Aとはなんですか?」に対して「AはBだからCで~」ではなく「A」は「A」と答えるみたいな感じがある。
ようは、意味にがんじからめになったYouTube的存在から完全に逸脱しているのだ。「天皇陛下とかいう生前退した陰キャラ」も「風呂RTA」も「大学の食堂で席が無く立って食うキモ男」も全部意味不明なんだよ、ほんとに。脈絡が一切ないし、そんなことをする理由も必然性もどこにも無い。正真正銘「無意味」なんだよね。
彼はぼっち系YouTuberの記念碑的存在なんだけども、彼の「ぼっち」の真髄は、単に大学内で孤独だ、ではなくて、社会、つまり様々な意味のスープに対し、堂々と自らの孤独を宣言するその姿勢こそ、だと思う。
そして、我々の恐怖っていうのは、意味のわからないモノに対して抱かれるとき、最大値に到達する。「太陽が眩しいから人を殺す」とか。どこまでもせわしなく意味に支配された社会で生きる我々は、意味を有さないモノを異端と見なして恐怖するように出来ているし、意味のわからない怖いモノを排除しようとしてしまう。せっかく築いた意味の世界を、無意味なモノに踏み荒らされたら嫌だからだ。
しかし時に、人は理解の範疇を越えた無意味の放つ、危うい魅力に呑まれる。それは恐怖の裏返しでもある。血と汗を流して作り出してきた意味が、圧倒的な無意味の前では完全に無力であり、赤子の手をひねるが如く無視されてしまうかもしれないという恐怖に、恍惚を覚えるということ。
ステハゲは、陰キャラぼっちvs陽キャラ大学生、ていう低次元な二言論、つまり意味の中でもかなり取るに足らない意味の領域に(しかしながら多くの学生が悩まされるものである)、圧倒的に、無性に「無意味」として土足で入り込んだ。
そして若人たちは、彼の圧倒的な無意味さを前に、恐怖を抱くと同時に、自らの理解の範疇をゆうに飛び越えた舞台の上で演じられる「無意味」の魅力を発見した。まるで白昼の散歩のようなノリで自らの悩みを踏み潰していく姿に背徳的興奮を抱いた。
「孤独ですが、何か?」といいたげな堂々たる表情を携えて(これさえ、我々の意味による解釈にすぎないが)「無意味」を踊ったステハゲは、大学の中で友だちがいないどころか、社会の中で、意味の世界に対して孤独な「ぼっち」の神として、遂に神話になったのだ。
しかしながら、彼が示した「無意味」に対しての反応は、かなり貧困だ。「ぼっち系YouTuber」と称した定型的な方式を編み出し、みんなシステマティックに「YouTuber」をやっている。これらは意味にしばられている。理解の範疇の中で営まれているにすぎない。
完全に「無意味」に達することは難しい。というか、こんなふうに駄文を長々と綴ってしまう私なんかには不可能だと思う。かといって、過度に意味にがんじからめにされた生活が幸福か?といえば、そうではない。SNS全盛の令和の時代には、他人との差がSNSというシステムの上でかなりくっきりとした輪郭を描き、我々の眼前に突如つきつけられる。差による不幸や搾取だけじゃなく、差そのものに絶望を抱いてしまうのは、承認欲求と自己顕示欲を自然に有する人間であるかぎり、仕方ないかもしれないが、絶望は絶望として実際に人の心を蝕んでいる。これらはSNSの台頭に呼応して発生した、必然的な病理だ。
私は、そのような意味の飛び交う絶望に対する特効薬として、ステハゲの示した無意味さを見なすべきだと思っている。「なんでそんなことするんですか?」という問いに対して、「これ」は「これ」だ。と堂々と答える姿勢。因果関係やメリットデメリットといった普通の思考回路を完全無視する暴力。これこそ、新しい時代の新しい絶望に対する、新しい希望ではないだろうか。
もちろん、私は雨の日に路上でのたうち回ったり、顔出しして自分の所属する学校や天皇陛下を侮辱したり、会社内で堂々カメラを回して奇行の数々を撮影したりする勇気なんてない。彼の動画を見るのは楽しいが、同時にそんな無意味に恐怖を覚える。こんな風に長々と文を綴るのも、無意味に対する無意識的な恐怖なのかもしれない。
完全に無意味になってしまえば人で無くなってしまう。だから私は、辛いとき、絶望したときに彼の髭面を思い出して、心の中でこう叫ぶのだ。
キモチェェ~~~!!!!!!!
人間性で低評価をつけている人が多いが、決してそんなことはない。
彼の生き様にこれだけ多くの人間が心を動かされた。彼がニコニコ動画への
投稿をスタートさせなかったら、我々人類は少しだけつまらない人間ばかりだっただろう。
ステハゲは視聴者に笑いも、元気も、感動も届けていない。
しかし我々は彼を「伝説」と呼ぶ。しかし彼の動画は、我々を全人類一人一人に与えられた「おふざけ」
の心へと回帰させる。ステハゲは動画を通して、「何が面白いかは自分で決めろ」というメッセージを与えているのだ。
3年前に卒業した中央大学OGですが、
現役当時、この人の炎上商法のせいで
かなり迷惑を受けました。