最近YouTubeに軸足を移したのか、ひろゆきのような形式で質問に答えるライブ放送を行っている。話し方までひろゆきに似せているのか?と思わせるほど、ひろゆきを彷彿とさせる放送スタイルである。
広く浅く様々な知識を持ち、多様な話題に対して一定の回答を用意できる点は評価に値する。しかし、ひろゆきとの決定的な違いは、尖った発言や挑発的な物言いの欠如であり、シンプルに「つまらない」。
その代わりに彼が持つ独自の魅力は、驚くべき「言い訳の長さ」にある。
特にTwitterでの彼の姿は圧巻である。フォロワーからの質問に対し、まず考えられるあらゆる誤解や批判を想定した予防線を張り巡らせる。その防衛ラインの構築だけで数百文字を費やした後、ようやく提示される結論は驚くほど平凡である。「こんなに長々と語ったのに、結局何も言っていないじゃないか」というギャップこそが、彼の最大の魅力になっている。
このコミュニケーションスタイルの背景には、おそらくひろゆきという強大な批判マシーンとの長年の生存競争で進化したサバイバルスキルがあるのだろう。「ひろゆきに論破されないための100の言い訳」を日々実践した結果、「何も言わないことで何も間違わない」という究極の防衛術を編み出した。彼の脳内では常に目に見えないひろゆきと壮絶な論争を繰り広げているに違いない。
この防衛的かつ冗長な論理展開は、一部の視聴者には知的で深みがあるように映るかもしれない。しかし実質的には「何も言っていない」に等しく、そのアンバランスさこそが彼の独特の面白さを生み出している。けんすうの文章を読むのは、彼が自分で設置したひろゆき的地雷原を慎重に回避しながら進むのを観察するに等しい作業である。
残念なことに、YouTubeの生放送では、リアルタイムで言い訳を考える時間がないためか、結果として、その独自の魅力が薄れ、ただの「ちょっと物知りなおじさん」と化してしまっている。けんすう氏の唯一の武器である「無駄に長い言い訳」を封じられては、ただの眼鏡をかけた一般男性でしかない。
それでも彼のコンテンツを見続けてしまう私たちは、「今回こそ何か言うのでは?」という永遠に裏切られる期待を抱き続ける、現代のタンタロスなのかもしれない。